世界無形文化遺産に登録―中国の端午節の由来伝説と風俗習慣

端午節 知識

毎年旧暦5月5日は端午節(たんごせつ)です。端午節は春節、清明節(日本のお盆にあたる)、中秋節と並び、中国の四大伝統祭日の一つです。端午節は2009年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。

端午節にちまきを作って食べたり、薬用酒を飲んだり、ヨモギや菖蒲(ショウブ)の葉を飾る習慣があるほか、各地で龍舟競漕(ドラゴンボートレース)が開かれます。
ドラゴンボートレースは中国のみならず、世界各地で開かれるようになりました。このため、端午節は英語で「Dragon Boat Festival ドラゴンボート・フェスティバル」と呼ばれています。

この記事では、端午節3つの由来伝説と4つの風俗習慣について紹介します。

端午節の由来伝説

端午節はなぜ「端午」と呼ばれるかはご存知ですか。もともと「端」は「初め」の意味を持っています。中国旧暦の5月を「午(うま、ご)の月」ともいい、「午」の発音は5月の「5」と同じのため、旧暦の5月5日をは「端午」と呼ばれるようになりました。

端午節の由来はいろいろな伝説があります。それぞれの伝説によって、呼び方が異なります。端陽節、龍舟節、午日節、天中節、悪日節、屈原節などなど約20種類以上の呼び方があります。

伝説その一:屈原を記念する説

屈原(くつげん)は、約2300年前中国の戦国時代楚国の政治家であり詩人でもありました。屈原は斉国と連合し秦国に対抗する策を楚国王に進言しました。しかし、陰謀により、楚国王に受け入れてもらえずに、国を追放されてしまいました。

紀元前278年旧暦の5月5日、屈原は追放先で秦国軍によって自国が滅ぼされたという知らせを受けて絶望し、悲痛のあまり石を抱いて汨羅江(べきらこう)に身を投じて殉国してしまいました。屈原が殉国の知らせを楚国の人は、舟を競い救いにかけたが見つかりませんでした。楚国人は屈原を悼み、竹筒に米を詰めて河に投げて祭りました。これが後のドラゴンボートレースやちまきを食べる習俗になったと言われます。

以後、屈原の命日5月5日に、ドラゴンボートで競争し、ちまきを食べ、屈原氏の死を悼み偲ぶようになりました。

伝説その二:龍の祭日説

中国の著名詩人、古典論家聞一多氏の『端午考』、『端午の歴史教育』によると、端午節の由来は、龍をトーテムとする古代百越民族が旧暦の5月5日に行うトーテム祭の祭日です。

端午節は龍の祭日ともいわれました。その理由は、端午節風習の一つである龍舟競漕は古代百越族が龍に崇拝すると関係があるからです。

古代百越民族は自分たちを龍の子孫と信じていました。彼らは龍の形に削り出した木のボートに乗り、その速さを競うことで、神様を祀る祭事としました。

伝説その三:悪日悪月説

古代端午節前後、長江流域は雨が多く、災害も多発し、さらに、5月に害虫も多く出没し、疫病も流行りやすい時期でした。そのため、旧暦の5月を「悪月」または「毒月」、5日を「悪日」、5月5日を「悪月悪日」とされていました。

古代の人々は「悪月悪日」に邪気払いや防疫のため、ドラゴンボートレースを開催したり、鍾馗(ショウキ)像を飾ったり、菖蒲やヨモギの葉を軒先に吊るしたり、薬用酒を飲んだり、ちまきを食べたりして健康を祈願しました。これらの風習は現代まで二千年以上も続いてきました。

日本は奈良時代から端午の節句(子どもの日)が定着しはじめたといわれています。端午の節句に、ちまきを食べるや菖蒲を使って邪気払いする習慣は古代中国に由来するものとされています。毎年5月になると、スーパーや花屋で菖蒲の葉を販売しています。子どもの日に菖蒲の葉っぱを束ねて軒先につるして魔除けにしたり、刻んでお酒に入れて飲んだり、お風呂に入れて菖蒲湯にしたりします。

端午節の風俗習慣

端午節の風俗習慣は各地域によって多少異なりますが、ここでは主に行う4つの風俗習慣を紹介します。

ちまきを食べる

ちまき

ちまきを食べる風習は伝説その一で説明した屈原に由来します。楚の国の詩人屈原を慕っていた人々は、屈原の亡骸を川の生き物から守るため、命日の5月5日に米を詰めた竹筒を川に投じていました。しかし、その効果はなく、川の蛟龍に食べられてしまいます。

ある日、村人の夢に屈原が現れ、「供え物が蛟龍に食べられるのを防ぐため、ヨモギの葉で米を包み、五色の糸で縛ってほしい」と告げました。それ以来、ちまきを竹筒ではなく、米を楝樹(れんじゅ)の葉で包み、邪気払い五色(赤・青・黄・白・黒)の糸で縛るようになりました。
端午節にちまきをたべる風習はその名残で現代まで定着しています。

ドラゴンボート競技

ドラゴンボートレース

ドラゴンボート(龍舟)の起源は諸説ありますが、一番広く知られているのは屈原説です。屈原は自分の国楚国が秦国に支配されたことを知り絶望し、石を抱いて川に身を投じました。近くの民衆は屈原の身を案じ、舟を出し三日三晩探しましたが、見つかりませんでした。以来、屈原の命日旧暦5月5日に舟を出して競漕する伝統が定着し、現在のドラゴンボート競技の由来となりました。

ドラゴンボート競技は、中国以外に、東南アジア地域や欧米などでも行われるようになりました。日本ドラゴンボート協会によると、日本では長崎が最初で、今から約366年前の1655年といわれています。長崎では龍舟競漕をペーロン(白竜)といいます。

1976年に香港で開催された『香港国際龍舟祭』をきっかけに、龍舟競漕イベントが競技となり、現在アジア選手権、欧州選手権、世界選手権などが開催されています。

ヨモギや菖蒲を飾る

ヨモギ菖蒲

旧暦5月5日は初夏にあたり、雨が多く、細菌やウイルスが繁殖し、人は伝染病に感染しやすい時期です。ヨモギはキク科植物で、独特の香りは、害虫や雑菌から身を守ってくれます。

ヨモギの香りのもととなっている精油成分は、さまざまな薬効成分があるので、古くから薬草として用いられました。また、菖蒲の葉っぱの形は剣と似ているため、軒先に飾るのは邪気祓いと健康を祈願する意味が込められています。

この時期に町では、香り袋を身につけている人は多くみかけます。香り袋は日本のお守りみたいなもので、何種類かの生薬が入っていて、虫よけや病気よけの意味があります。

雄黄酒を撒く

雄黄(ゆうおう)は天然の硫化ヒ素の一種です。端午節に、少量の雄黄粉を白酒や黄酒によく混ぜて雄黄酒を作ります。民間では、「雄黄酒を撒くと、病魔は遠ざける」ということわざがあります。

各家で清掃した部屋の隅やベッドの下や床に雄黄酒を撒く習慣があります。また、大人が雄黄酒を子どものおでこ、耳の後ろ、鼻の下や手足に塗って、害虫に襲われないようにするためです。

まとめ

いかがでしたか。以上、民間でよく伝われている端午節の3つの由来伝説と現在も行われている主な4つの風俗習慣をまとめました。ご参考になればうれしいです。
ちなみに、2022年の端午節は6月3日金曜日になります。

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